コラム vol.16「本への扉」


福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラム。
第16回目のコラムは、江頭 直人さん(平成25年卒)です。
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 大学に入学してから1ヶ月半ほどのことです。電車に乗り、いつもと同じように音楽を聴きながら通学していた私はその慣習に飽きていました。何か他にできることはないか、と周りを見ると老若男女問わず本を読んでいる姿が目に付きました。片道1時間の通学路、無駄にする手はありません。この時間を生かして私は読書をすることにしました。
 しかし、です。それまで年に1、2冊程度しか本を読む習慣はなかった私です。最初は松本清張や赤川次郎などのミステリを編纂した短編集から読み始めました。当時読書初心者の私には難しい作品も収録されていましたが、本を読む楽しさを知るのには十分でした。最初に手に取ったのがミステリであったことから、初めは国内ミステリやエンターテイメント小説を読み漁っていましたが、しだいに国内外今昔問わず文学作品や詩集やエッセイ、ひいてはSFやホラー小説なんかも読みました。
 小説とはいえ本を読んでいると文章を読み、理解する能力は自ずと身に付きます。興味深い文章や物語は精神面を知識で満たしてくれるし、学習面においては判旨を読む際に小説を読むときと同じように登場人物や事実確認を頭の中で構想し、新書本を読んで論ずる課題や意見をまとめるレポートの課題も苦にならず、さらには課目によってはストレートに読書感想文の課題なんかもあり、この慣習はその都度大変役に立ちました。読書の慣習を身に付けることは卒業生の皆さんだけならず、在校生の皆さんにも是非おすすめします。
 大学を卒業した現在も私は常に何かしらの本を読むようにしており、鞄の中にはいつも本が入っています。それは小説だったり、新書本だったりですが、いずれにしても本によって私は一歩立ち止まり思考を整理することができ、自らの意見を持つことができるのです。
 他人の意見を頼ってしまいがちな現代社会。例えばそこにはびこるネット文化。ネットに蔓延するレビューや口コミはあくまでも他人の意見です。アメリカの小説家レイ・ブラッドベリは著書『華氏451度』に本を読むことは自発的な行動であることから習慣的に考える能力を得るものである、と本が禁止された世界を舞台に説いています。他人の意見は参考程度にはすれど、そのまま自分の意見にしては考えてないことと変わりません。このような社会だからこそきちんと考え、自分の意見を持っていたいものです。
 どうでしょう。書店や、もしくは図書館に足を運んで、気になった本を1冊手にとってみてはいかがですか?