コラムvol.19「高度情報化社会を生きる」


福岡大学法学部同窓生によるリレー式コラム第19回目は
高木憲章さん(昭和46年卒)です。
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「高度情報化社会を生きる」

健訟の弊風を矯正すべし
世の中には、やたらに訴訟を起こす「ソキチ(訴訟狂)」と呼ばれる人種がいるという。古くは平安朝期(延喜7年)に書かれたとされる伝記「参議藤原保則伝(三善清行)」によると、当時の讃岐国につき、「この国の庶民みな法律を学び、執論各々異なり、邑里彊畔ややもすれば争訟を成す」とされている一方、奥羽の地では、「善馬、良鷹を求めて雲集する権門の子弟があり、辺民愚朴にして告訴を知ることなく、ただその求めにしたがう」とされている(中田「法制史論集」3巻1157頁)。
明治期に入っても健訟の傾向はあったようで、明治14年3月の東京日日新聞の社説は、「健訟の弊風を矯正すべしと」と題して、「須らく代言人を検束し、以て我が社会より彼の白癩の如き健訟を排斥して後初めて人民をして訴を無くして止むの善果に至らしむべきなり」とまで論じている。
讃岐に生れ、讃岐で育った私から見て、特に讃岐人が訴訟好きには見えないが、小生を含めて理屈っぽい人間が多いのは確かである。全国で最も面積が小さく、人口密度が高いなかで、肩を触れ合いながら生活をしていることが影響しているのかもしれない。
法律は生きている
訴訟好きには金がなく、医者好きには健康がない、といわれる。確かに不必要に訴訟を起こすことは好ましくなく、訴訟が訴訟を生むような事態は避けるべきであろう。しかし、毎日のように、新聞、テレビ、ラジオ、インターネットを通じて、内外の政治、経済、社会のあり余る法律が関連する情報に接し、それらを適切に取捨選択して自らの生活に生かしてゆかなければならない私たちにとって、それらの法律的な問題に対する対応について、すべては誰かのやることであり、自分たちは社会の変化に流され、決められた法に規制されるだけで良いのだと考えるとしたら、それはもはや人生の敗北に近い。
法律は人間が作ったものであり、人間と共に生きてゆくものなのである。したがって、私たちが社会の変化に対応して生き方を変えてゆくように、法律も常に社会の変化に対応した適切な内容のものに変えてゆかなければならない。法律は生きているのである。私たちは日々発生する複雑な法律問題や裁判例にも積極的に関心を持ち、主体的にかかわって行かなければならない。
かって、数年間にわたって、一般市民、市議会議員の方々をメンバーとする憲法学習塾を主催したことがある。ちょうど行政手続法が施行されたころであり、少しでも市民の方々に憲法や行政法の考え方を理解していただきたいと考えてのことであった。最初は多かった参加者も年が経つにつれて減少し、3年目には5~6人になったが、それでも数年前まで続けることができた。今では市民参加型の新たな条例等もでき、努力は無駄ではなかったように思う。
次々と提起される憲法問題
選挙制度の改革、国家機密の保護等につづいて、「集団的自衛権」の問題が検討されている。言うまでもないことであるが、9条の問題を含めて、私は憲法全体の理念を忘れてはならないと考えている。また、国連憲章において日本という国がどのように位置づけられているかも忘れてはならない。
この憲法の出自の問題がどうであるにせよ、この憲法が我々に与えた国民主権主義、基本的人権の尊重、平和主義の原則の価値を否定する者はいないであろう。不当な男尊女卑の制度に絶望していた女性たちにとって、法の下の平等を定めたこの憲法は画期的な意味を持っていたに違いない。基本的人権の尊重、個人の尊重も、溌剌として自己主張することができる伸び伸びとした日本人を育てることに成功した。言論、表現の自由も、民主政治の基礎を築き、豊かな文化を育んだ。この憲法が戦後日本の復興、繁栄に果たした功績は大であり、決してお疲れ様日本国憲法と、ご退場いただくわけにはゆかないであろう。
しかし、もちろん憲法も法であり、全ての規定が恒久のものではない。また、人間も弱いものである。個人の尊重が過ぎると、家族制度の崩壊を招く。核家族化は、その一例であろう。個人が尊重されるからといって、自分以外の家族に対する倫理的・法的義務を忘れて良いわけではない。現在の憲法の規定には、権利と義務の関係において、権利の方向に偏りすぎた傾向があるのも確かである。十分に検討し、基本的な理念を維持したうえで改正することも必要であろう。
法科大学院への期待
高度情報化社会は世界を一市場化し、実質的な国境を無くしてしまう。知的財産などの情報財は国境を越えて簡単に流通し、多くの国で権利侵害を引き起こす。また、侵害領域は国家主権が及ぶ領土、領域内に限られず、サイバースペースという法域外でも発生する。これらをどのように規制するのか、新たな法規制が求められている。
これからの法律家には、高いレベルのIT技術が求められる。しかし、それを現在の大学法学部での教育に期待するのは無理であり、どうしても法科大学院の教育に期待せざるを得ない。しかし、現状では、それも難しいのかもしれない。京都の法科大学院に通っていた姪が昨年から弁護士業務を始めたが労働法を専門にするという。結局、知財業務は選択しなかった。
本学法科大学院の司法試験合格者は法学部以外の学部出身が多いと聞いている。また図書館は、午前7時から午後12時まで開かれているとのこと、設備も充実しているようで羨ましい限りである。素晴らしい中央図書館と共に有効に利用して、思う存分勉強し、是非とも新しい法分野に挑戦して欲しいものである。